新会社‼️株式会社椿設立しました‼️

映像について

こんにちわ。SOAR.LLCの富田です。

写真や映像をメインに活動しており、思いやりのあるクリエイター集団を目指して日々お客様に満足していただけるよう努力しております。

本題に入る前に軽く事業のご紹介をさせてください。
SOAR.LLCとはお客様はもちろんの事自社クリエイターも楽しくならなければ意味がないという思いで立ち上げてます。

・広告映像制作事業(SOAR.LLC)
・映像サブスクリプション事業(メディアバイキング)
・結婚式・二次会プロデュース事業(クラコレ)
・レンタルスタジオ事業(S.STUDIO)
・出張写真(4980PHOTO)
・建築写真(ie)

・ボイスマッチ

SOAR.LLCラジオ始めました!!

是非興味があればご覧いただければ嬉しいです。
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新会社‼️株式会社椿設立しました‼️

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こんにちは‼️

SOAR.LLCの富田です。

打ち合わせが立て続けに入りまして、三重から愛知や大阪などてんやわんやで一日20件以上の電話を当たり前のようにかけて進捗管理をしていたSOAR.LLCの富田です。

本日は株式会社椿と言う、新しい会社をつくりました。と言うご報告の今日はお話を書かせていただこうと思います。

皆様からするとどうでもいいお話かもしれないんですけども、せっかくなのでこんなこともくだらないんですがお付き合い頂ければ幸いです。

この椿と言う名前に決めた理由をまず申し上げますと、私はですね一応名前が富田翔と言うちょっとかっこいい名前なんですけども、この名前はほんとに好きです。親にはほんとに感謝してます。

ありがとう。

ですが私のおかんはですね、残念ながらこの世にはもういないんです。

そしておかんのおばあちゃんもこの世にもいません。

それでですね、ちょっと前置きが長くなりましたが、僕の旧姓、お母さんの旧姓が椿と言う名前なんです。

ちなみにですね私は母親と小学校2年生の時に別れてお父さんに育てられたんです。

お母さんはどこに行ったかと言うとアメリカ人の方と再婚をしてアメリカに行ったんです。久しぶりに会った時が中学校2年生の時にお母さんのおばあちゃんが亡くなった葬式で何十年ぶりかに会ったんです。

その時の気持ちは忘れません。

毎日お母さんと会いたくて、尽くしたくて、かまってほしくて、お母さんに好きになって欲しくて、喜んでほしくて、そんな気持ちでおばあちゃんの家を整理しているお母さんのもとに必死で毎日会いに行ったことを覚えています。

ずっと小学生のどんな時でも母親が当たり前にいる友達の家庭が羨ましかったんです。

母親に会いにいく度に嬉しい顔をしていて「しょうちゃん」と呼んでくれて喜んでくれていたことも心に残っています。

母親は決して英語が得意ではなかったと思いまし、人付き合いがうまいとも思いません。そしてアメリカの生活が充実していたとも私は思いません。

それは何故かと申しますと、定期的にアメリカから手紙をくれていたんです。

私は兄弟が3人いるんですけども、3人に手紙をずっと送ってきてくれてたんですね、その時は決まって挫けそうな時に僕たちを思い出して落ち込んでる時に書いてるんだろぉなぁとか、私達を捨てたという罪悪感でいっぱいになって落ち込んで泣きながら書いてるのかなぁとか思ってました。

簡単に言うと自分の事は全く伝えず「元気してる?」って言うことと、申し訳ないと言う気持ちが常に綴られていた記憶があります。

私は3人兄弟の三男なんですけども、兄貴2人はその手紙を嬉しい想いで全く受け取ってなかったのも感じてました。

それをずっと見ていて、シンプルになぜなのかなぁ?と思っていた自分もいました。

母親はアメリカに行って会えない私たち子供にずっと手紙を送ってくる母親の気持ちを思うと切なく、辛く、支えてあげれなかった自分が嫌になる時があります。

当時、母親が僕たち子供たちのことをどう思っていたかは分かりませんが、少なからず罪悪感はあったと思います。

申し訳なさはあったと思います。

今自分が大人になって子供の大切さだったり今僕が片親になって1人で子供を育てることを思うと、本当に大変で嫌になることもあるかもしれません。

当時私が小学校2年生の時の社会では女性はやっぱり男性より働けない。とかで社会の影響を感じたり、大変な環境でも働いてもらってたと思います。

それを思うと手紙がくるたびにずっと申し訳ない気持ちを感じさせる文章を一生懸命書いて償いたいって言う気持ちを私はずっと感じてました。

そして子供を日本に置いてアメリカに行った事を後悔をしている。

そう感じた手紙が定期的に送ってきてたんです。

その母親もアメリカで癌になって母親の友達から緊急で連絡があり、仕事を辞める覚悟で一番にアメリカに行って看病をしてました。

45才。病気で亡くなりました。

当時私は25歳。

今から約10年前位です。

運良く死ぬ前に会うことができましたし、母親に僕の料理も作って食べてもらうこともできました。

少しですが、母親との時間を子供として過ごす

こともできました。

中学校2年生の時におばあちゃんはなくなったって言ったんですが、その母親の旧姓が椿だったんです。

その椿と言う苗字、歴史がこの世に存在している。今も思いは生き続けているよ?って言う事を残したくて椿と言う会社を立ち上げました。

特にそこまで深い理由はありません!笑

事業内容としては今のメディアコンサル事業だったり映像の事業もやりつつ、飲食店だったりだとかいろんなことに挑戦できるような会社にしようと思っております。

ぜひ皆様応援していただければ幸いです。本日は結局何が言いたかったかと言うと、会社を作る事はビジョンがないといけないとか、目標がないといけないとか、そんなことだけじゃなくても会社って作ってもいいんだよって言うことを皆様に伝えたくて本日はこんな話をさせていただきました。

本日は私のプライベートな話にお付き合い頂きありがとうございました!いつでもお気軽にご相談お待ちしております。

0120-129-333

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